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2012年12月

2012年12月20日 (木)

「続、悩む力」より

忘れないうちに、

フランクルは、「人生のほうから投げかけてくる

さまざまな問い」に対して、「私が1つ1つこたえていくことだと、

考えた。

この考え方を、フランクルは、

コペルニクス的転回と呼んだ。

そして、この問いかけに対して答え続けた人だけが

生き延びたのだと言う。

したがって、幸福と言うのは、それに答え終わったときの

結果に過ぎない。

だから幸福は、人生の目的ではないので、

目的として求めることもできないと言う。

つまり幸せをつかむために何かをやる、という考え方自体が、

本来的に成り立たないということ。

より未来をもとめていくというよりも、

よい過去を積み重ねていく気持ちで、

生きていくこと。

ありのままの身の丈でよいということ、

いまそこにいるだけで、あなたは十分にあなたらしいということ

(唯一性と一回性)

だから、くたくたになるまで自分を探す必要などないということ。

そして、心が命じることを淡々と積み重ねて、

やっていれば、あとで振り返ったときには、

おのずと十分に幸福な人生が達成されているはずだと言う。



したがって、幸福の方程式を変えることが不可欠である

現在の幸福の方程式が、私たちの人生の価値や意味を

縛っている。





夏目漱石は、

どんなに人知進んでも、私たちの背後に、

人間など及びもつかない力が働いている世界がある、

ということを悟っていたと言われている。





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2012年12月 8日 (土)

人間という肩書きで、生きよう。

いいコピーであると思う。

以下、クラブ・ウィルビーのものだ。

多くの人は、50代のある日に、ふと気づくのかもしれない。

あ、私はいま、この人生で、いちばん自由な時をすごしている、と。

子は巣立った。泣いたり、笑ったり、叱ったり、けんかをしたりと

いろいろあったけれど、ひとまず、親としての責任は終えた。

働いた。けんめいに働いた。

野心に満ちていたあの若い日からずっと、

家族との時間も犠牲にして働いたけれど、

それも、もう思い出に変わろうとしている。

家の中も戦争だった。

近くに親戚すらいない核家族の心細さの中で、

主婦として、妻として、母として、

来る日も来る日も走りつづけていたような気がする。

でも、ある日気がつけば、思いがけなく自由な場所に出ていた。

そこには、何をしてもいい時間があった。

勝ち負けのない生活があった。

成長した子をはるか遠くに見ながら、少しさびしくはあるけれど、

おだやかで、のびやかで、思いきりおおらかな日々があった。

自分だけでなく、みんなが幸せであってほしい。

自分の家族だけでなく、友人も、知りあいも、

自分につながる人はもちろん、

つながらない人もしあわせであってほしい。

そんなことをふつうに願っている自分がいた。

いいな、と思うのです。

歳をとることが、

そんなやさしさやあたたかさを身につけることなら、

よろこんで歳をとろうと思うのです。

長年慣れ親しんだ社会での肩書きを捨て、

人間という肩書きで、生きよう。

私たちの新しいネットワーク「club willbe」には、

そう考える人に集まってほしいのです。

そんな人が集まり、会話を交わし、楽しみ、

そしてできれば、そうすることで人の役に立つ。

そうありたいと考えています。

あなたの参加を、心からお待ちします。

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2012年12月 6日 (木)

今、気がついた

ほんの少し前に勘三郎さんのことについて、

書き終わってから、

ふと気がついたことがある。

人の役に立つこと。

大切なのはこれではないのか。

あまりにも存在の小さい1人に過ぎなくても、

心が救われることがあるだろう。

それは、人の役に立っていることではないのか。

少なくとも、自分が他人のためになっている、

と感じることができるとき、

自分は生きていてもいいんだと思うことが、

できるのではなかろうか。

とはいえ、自分のことで精一杯の中で、

他人のために役に立つこと、

これが、これからの自分の目標にすることができればいいなあ、

と思った。

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死は不平等か

昨日の朝、中村勘三郎さんが急逝した。

正直驚いた。

自分と同年代だったからだろう。

同年代の人間が亡くなるということはどういうことか。

僕などよりも勘三郎さんのほうが、生きていれば、

よっぽど世の中のためになっているはずだ。

世の中に長生きしたほうがいい人間を、

天は見ていないのだろうか?

いっぱい、やることがあっても、

たくさん、やらなければならないことが残っていても、

色々、やりたいと思うことがあっても

ずっとやりたいと考えていることがあっても、

いきなり終わりになってしまう。

無常と言えばあまりにも無常である。

死んだら終わりだから、努力はしない、

というのも間違いだ。

生きていることができている間は、

その時にできることを精一杯やっていること、

それしか方法はないのかもしれない。

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2012年12月 5日 (水)

恩師より電話があった!

立教大学時代のゼミの恩師である、

三戸 公先生より、お電話をいただいた。

約20分もお話した。

先生は、献本させていただいた今度の

「定年前後の人のための講師デビュー入門」を

早速、読んでいただいたのだ。

朝食を終えてからお電話をしてくれたのである。

目次の順番にも触れ、

「この章はもっと前に入れるべきじゃった」との

ご感想もいただいた。

すでに90歳を超えておられるのに、さすがである

頭脳明晰だ。

33年前とまったく変わらないから凄い!

いったいどうすれば、そんなお歳になっても明晰なのか。

食べ物なのか。

それをぜひお聞きしたいと思ったのだった。

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