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2012年11月 6日 (火)

吉本隆明「ひきこもれ」より

作家の吉本隆明さんの「ひきこもれ」より抜粋、

「引っ込み思案は駄目で、とにかく社交的なほうがいいんだ」という

価値観が潜在的にある。でもその人の中身は一人で過ごしている間に、

豊かになっているかもしれない。ある瞬間に、「ああ、この人は

こういう人なんだ」と誰かが理解してくれるかもしれません。

その人なりの他人とのつながり方というものがあるのです。

一方、コミュニケーション力というのは、感覚に寄りかかった能力です。

感覚が鋭敏な人は他人と感覚を調和させることがうまい。しかし、

それは意味でしかない。意味が集まって物語が生まれるわけですから、

そういう経験も確かに役に立ちます。

けれども、「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙って

いるけれど存在感があるな」とか、そういう感じを与える人の中では、

意味だけではなく価値の増殖が起こっているのです。それは、1人で

じっと自分と対話したことから生まれているはずです。

あなたは、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、

感じて自分で内密にふくらませることに関しては、

人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を

生んでいるということなのです。

世の中にどんどん出張っていく社交的な要素と、ひきこもりの要素。

その両方がバランスがとれているのが、おそらく一番いいことなのでしょう。

しかしどんな人でも、どちらかに傾いているのです。

何かの拍子にその距離に入ってしまえば、遠くから見ていたときとは、

べつのものが見えてくる。

そうすると世間的な価値判断は関係なくなって、

自分意とって好ましいかどうかという問題だけになる。

その距離になったときに決め手となるのは、遺伝子が似ているというか、

細胞がなんとなくあっているというか、そんな感覚なのではないでしょうか。

なんでも10年やるとその人は100%ものになります。

これは、どんな仕事でも同じです。

頭のいい人というのは、自分を鋭く狭めていくようなところがあります。

長い目で見ると、それはそんなにいいことではない。

熟練した職業人になるには、少しゆるんでいて、

いい加減なところがあって、でも持続力だけはある、

というのがいいのです。

いまでもぼくは、大勢の中の孤独を好むところがあります。

賑やかな中で一人ぽつんとしている状態が一番、

精神的に落ち着くのです。

以上、忘れないうちに書きとめておくことにした。

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