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2011年3月

2011年3月23日 (水)

歳をとると、どうして意欲が無くなるのか

私たちは歳を取ると、

いつしか意欲が無くなっていくものだが、

いったいどうしてなのだろう。

それは仕方が無いものだと考えていたところ、

「感動する脳」(by茂木健一郎)を読んでいたら、

関連するところがあった。

一概に歳を取った人は意欲が無くなるとは

言えない。

中にはお年寄りになっても、生きる意欲に、

満ち溢れておられる方々も大勢おられる。

ではこの差はいったいどこから生まれてくるのか。

茂木氏は、その人の世界観に関わってくるからだという。

加齢にともなって、意欲が落ちていくのは、

それまでに体験や知識が多く蓄積されていくことで、

生きていく上での不確実性の要素が減っていくからだ、

という。

年齢を重ねるに従って、数多くの体験を重ね、

知識を蓄積していくことで、もうほとんどのことは

知ってしまったと思う。

そんな事柄が身の回りに増えていけばいくほど、

人は何に対しても興味が薄くなっていく。

新しいことや初めてのことをやってみようという

意欲がなくなっていく。

すなわち、その人の脳が、もうこれまでの体験で

十分ですと判断してしまう。

けれども、私たちは未来のことなど、何もわからないし、

実際、何も決まってはいないはずだ。

そんな感覚で新鮮な見方をしていく、

そうしていくことで意欲が湧いてくるはずである。

明日は今日と同じだし、何も世の中には知らないこともない。

それに知ったからといって、それがどれほどの意味が

あるのだろう。

そんな考え方でいたならば、しだいに脳の神経細胞も

死んでいってしまう。

なぜなら、新しいことを体験していく上で上手に乗り切る

ために脳が活性化していくからである。

必要性のなくなった組織は、

脳であれ足の筋肉であれ、細く少なくなっていく。

それが合理的に創られた私たち生き物のシステムだからだ。

けれども、よく考えたら、いくら歳を取ったとしても、

不確実なことはたくさん存在している、

厳密には明日は今日とまったく同じはずはない。

実際、何が起こるかわからないし・・

でもそんな不確実性を恐れるのではなくて、

逆に、楽しむというスタンスを取ると、

どんどん脳は活性化していくという。

新しいものに出会うか、出会わないかは自分次第だ。

新しいことに出会おうとする意欲があるならば、

世の中はいくらでも新しい出会いやものがあるから。

感動することや、時には涙を流すようなこともあるだろう

けれども、元来生きていくということは不確実性の海を

泳いでいるようなものだから、

それはそれでいいのだろう。

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2011年3月22日 (火)

弱音を吐けないのは男の本能

昔からよく男は人前で弱みを見せない、

と言われている。

一見、どうでもいいようなことではあるが、

意外に深い意味もあるようだ。

一般的に、どの男性にとっても、

自分の弱みを見せることは最大の恐怖、

であると無意識に感じているものらしい。

会社や取引先で、

プレゼンテーションをしようというような場合、

最大の恐怖というのは、

自分がこのプレゼンによって、

自分かいかに無知でおろかであるかを

同僚やお客様の前で露呈することと言える。

それは、例えば、女性の場合で言うと、

「ノーメイクで買い物をしている時に、

知り合いにバッタリ出くわしてしまう」

というのが、

かなりの恐怖体験であるというのと

同じかもしれない。

それど同様なくらい、男性にとっては、

人から、アイツはバカだと思われることは、

恐怖なのである。

そしてその恐怖は、本能的なところから

来るものなのだ。

では、その本能的な恐怖心は、

なぜ生まれてくるのか?

それは男の太古の昔にさかのぼる。

原始の昔、進化していくプロセスでの

男性の役割と言うのは、

食べ物を発見して持ってくる、

ということと、

家族の命を守る、

ということだった。

従って、昼間は荒野へ出かけていき、

動物を発見しては捕らえて持ち帰り、

夜になると、野獣のキバから、

家族の命を守るというのが、

男の役割だった。

一方で、女性は、

子どもを産んで育て、家庭を守ってきた。

そして、それが現在に至るまでの

人間族の男女の果たしてきた役割分担だった。

男性の役割の場合、

無知や無能というのは最大の弱点となる。

獣の狩猟において、動物の習性や狩りの知識に

関する無知は、それこそ命に関わる。

家族に獲物を持って帰れないし、

家族も守ることができないからだ。

一家の長として、

家族を飢えさせないで命を守るという使命を、

抱えている男が、悩みを人にさらけ出したり、

無知を知られるということは、

自分が男として用を成さないということを、

自分から言っているようなものなのである。

古からのそういう経験から来ている恐怖心が、

現在でも男の見栄やプライドという言葉に

つながっているのかもしれない。

しかしながら、逆に、本当に強い人間や、

能力のある男は、自分の弱さを隠す必要を

感じていないのかもしれない。

自分の弱点や無知であることを、

他人に素直に話せる男は、じつは

大きな人間であると言えるのかもしれない。

過去にノーベル賞を受賞してきた人というのは、

逆に常識的なことを知らないこともあったという。

そんな場合、すぐに人に聞いたという。

一生をかけて専門分野の知を蓄積してきたような

人でも、自分が知らない分野や事柄に関しては、

素直に自分が無知であることを認めてしまうのである。

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2011年3月20日 (日)

自分を愛せる人

自分の持っている短所やコンプレックスを

すべて丸ごとコミコミで、

愛することができるという人が、

自分を愛せる人である。

そして、自分を愛せる人は、

他人にやさしくすることができる、

愛することができる。

そして、自分を愛せる人は、

人の長所と言うのは、短所のすぐ近くにあるものだ、

ということをわかっている人だ。

したがって、自分の欠点や短所を他人に隠す必要もない、

ということもわかっている人だろう。

それは、自分自身の短所や欠点、コンプレックスと、

折り合いがついているということだろう。

普段、他人とどのような接し方をしているか、

というのは、

普段、その人は自分自身とどのように接しているか、

つき合っているか、ということの裏返しなのだ。

「人間だから失敗することもあるさ」、

「努力が必ずしも結果に繋がるとは限らない」、

だから他人の失敗も許容することができるのだ。

自分に対しておおらかな気持ちで、

余裕をもって接することができる人は、

他人に対しても同じように接することが

できるということなのである。

したがって、

自分を愛することができるようになれば、

自然に他人からも愛されるようになる、

ということなのだろう。

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自分と折り合いをつける

脳科学者の茂木健一郎氏の

本を読んでいて

おもしろい記述があった。

普段の人間関係や、恋愛においても、

「自分と折り合いがついている人は、人から愛される」

ということだ。

自分自身を認めることができず、その結果として

他人も愛すことができないと、

ひどい場合になれば、そのことが、

他者への攻撃へと形を変えて

しまうのだそうだ、

その極端な例が最近問題になっている

DV(ドメスティック・バイオレンス)だという。

自分で自分のことを受け入れることが

できないために、その苛立ちが、

大切な人に暴力を振るってしまう

というものだ。

初めてDVなるものがあるというのを、

耳にした時に、

なぜ自分の恋人に暴力を

振るうのかというのが、

まったく理解できなかったが、

この話を聞いて、そうなのかと思った。

一方、自分を愛することができている人は、

自分の中に揺るぎない信頼感を置いているために、

「自分というものと折り合いがついている」のだという。

「私自身」という存在が、人からどのように、

見られているのかを常に確認する必要がないため、

逆に自分から離れることができるのだそうだ。

そのような場合は、自分の視線はいつも、

外に開かれている、注意が外に向いている、

ことから、一緒にいる恋人に、

まっすぐに視線と注意を捧げることが

できるのだという。

言い換えれば、

自分を愛せる人は、他人をも愛することができる、

ということに他ならないだろう。

人は誰でも多かれ少なかれ欠点はあるものだ。

完璧な人間なんて存在しているわけがない。

たとえ、自分に欠点やコンプレックスが、

あっても、僕たちは自分自身と、

分かれることはできない。

自分を愛せる人というのは、そんな欠点や

コンプレックスも、

すべてコミコミの「自分」を、

あるがまま愛せる人間ということなのだろう。

だから、そんな人間は、

相手の欠点を受け入れることができる包容力を

持っているのだろう。

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2011年3月19日 (土)

それでも生きていかねばならない

一瞬にして、

親がいなくなってしまった子どもたち・・

一瞬にして、

子どもを全員なくしてしまった親・・

家族が全員いなくなって、

ひとりぼっちになってしまったおばあさん・・

それでもこれから生きていかなくてはならないのか・・

あまりに残酷な・・・。

本当に・・

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地震は悲惨だ・・

今回の地震では、

本当に多くの、これ以上無いくらいの、

悲しいことが起きている。

ある小学校では地震当日に、

学校のイベントで出かけていたという。

従って、生徒は全員無事!

ところが、自分の町に帰ってくると、

家だけでなく、

両親もいなくなっていた・・

なんてことか、一度に200人も孤児に

なってしまった・・

なんてことだ・・

この世に神様はいないのか。

あまりに悲しすぎる現実・・・

それとは逆のケースもあった。

母親と父親が共に無事だったにも、

かかわらず・・

なんと、

子どもが皆、もどってこなかった・・

なんてことが起きるのだろう

あまりにも悲惨すぎる現実・・・

いったい神は、

人間に、何を試そうとしているのか。

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地震の直後にファミレスで・・

週間ポストに地震直後の

ファミリーレストランの記事が

載っていた。

あの日、東北関東大地震が発生したまさにその時、

あるファミリーレストランでは、

店内に居たお客様を全員、お店の外に退避させた。

食事の途中で退避したお客さんたちは、

当然、支払はまだだ。

揺れがやっとおさまるとほとんどのお客さんが

店内に戻ってきて料金を支払っていったそうだ。

家が心配ですぐに帰ったお客さんは、

翌日、料金を支払いにやってきたそうだ。

この日本人の行動に世界が驚いたという。

諸外国であるならば、わざわざ料金を

支払に戻ったりしないのだという。

なるほど・・。

これは国民性の違いというか、民度の違いか。

世界屈指の生活水準の国で暮らしているだけの

ことはあると思う。

そういえば、日本では暴動も無いし、

ましてや商品の略奪も無い。

そのような国は珍しいのかもしれない。

日本人は大したものだと思った。

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2011年3月12日 (土)

地震を感じたその時・・

昨日、地震があった時、

たまたま病院のロビーにいた。

病院の建物が大きくゆっくりと揺れ始めたので、

いつもの小刻みに揺れる地震とは

違うなと思った。

でも、すぐに収まるだろうと思った。

船に乗っているような、大きくゆっくりと揺れる

のは初めて感じるような揺れ方だった。

看護師さんが、全員建物の外に非難するようにと

指示があり、多くの患者さんや看護師さん、

事務員の方々と玄関から外に出た。

外に停車していた数台のタクシーが、

見ると大きく前後に揺れていたので、

これはただ事ではないと感じた。

乗っている運転手がびっくりして前後を

振り返っていた。

およそ3分間以上も続いただろうか・・・

長い・・と感じた。

患者さんや看護師さんも長引くので、

怖くなったようだ。

しかし病院の外壁が剥がれるようなことも

感じられなかった為、日本の建物は

大したものだと内心思う。

17年前に大阪で阪神淡路大震災に、

遭った時よりも、揺れははるかに大きく、

長かった。

これはすぐ近くで震源があるに違いないと

思ったほどだ。

ロビー内のテレビを見ていた職員の方が、

震源は宮城県らしいと言っているのを聞いて、

宮城の地震が埼玉県でこんなに感じるのでは

これは大変な地震だと急に胸が詰まったような

感覚に襲われた。

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2011年3月11日 (金)

新幹線で大阪へ

一昨日、久しぶりに新幹線で大阪に

打ち合わせに出かけた。

のぞみ223号だった。

やっぱり新幹線は快適だなあと感じた。

N700系という型の車両だ。

前からホームに滑り込んできたN700系は、

蛇の頭のような形だと思った。

僕が子どもの頃に乗った新幹線は、

0系という最初の車両だった。

あの頃も0系車両の丸い先頭部分を

見て驚いたことを記憶している。

新幹線にはいろいろな思い出が

今月就航した「はやぶさ」にも、

いつか乗ってみたいと思った。

帰りのN700系のぞみには、

停車した駅で次々とビジネスマンが

乗り込み、

名古屋駅を出発した時には、

全員ビジネスマンのスーツで

満席になっていた。

すると、どこからか、ビールとシュウマイの

香りが漂ってきた。

ウ~ン・・やはりオヤジだ。

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