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2010年3月25日 (木)

座禅

坐禅は何のためにやるのか、

というと、「言葉」で説明するのは困難なのだそうだ。

何のためにやるのかという「目的」を知りたいのだが、

「そもそも目的という発想では入っていけないところ」

なんだそうである。

座禅について、あちこちの本に書いてあるようなことは、

間違ってはいないが、外からなぞった事であって、

坐禅そのものではないそうである。

というのは、今度、座禅でもやってみるか、

ということで、座禅イベントに申し込んだ。

抽選で当選すれば、

めでたく生まれて初めて座禅なるものができる、

というわけだ。

坐禅を組んだら少しはマシな人間になれるかなって・・。

でも、仏教からみると、「自分」自体が「錯覚」なのだそうだ。

もうわからなくなってきた・・。

人は、「自分」という「我」をつくって、

そこを基点としてまわりを構築していかないと不安だし、

どうやって周りと関係性をつくっていけばいいかが、

わからないし・・。

人はどんどん自分の「我」を基点に周囲を固い殻で

防護していこう、としているのだそう・・。

うん、それはわかる。

お金にしても、地位にしても、家族にしても

自分を防護する「殻」のひとつだ。

でも、それはそのような環境条件のなかに

いるからなのだそうである・・。

従って、まわりの環境条件が変われば、

そんな「我」にとらわれなくてもいい世界が

存在するのだと言う。

そんな「世界」が座禅によってもたらされると

いうのである。

自分の周りに安全圏を築くことによって、

自分以外の周囲の環境がどんどん変わっていっても、

自分だけは「不変だ」と思いこもうとしているのが「我」

なのだそうである。

周りの環境がどんなに変わろうとも

自分だけは変わらない・・。

ところが、自分という「我」は、いつかやがて

死んでなくなってしまうものだから、

この自分のまわりを色々な殻で防護していく

「我」プロジェクトというのは、必ず失敗する運命に

あるのだという。

したがって仏教的に言えば、

人は「我」では生きていけないという。

なんと、言葉自体も「我」を構築していくために

つくられた道具なのだという。

う~ん・・・難しい。

したがって、座禅とは何かを説明しようと思うと、

この道具である「言葉」を使わざるを得ないから

話が難しくなるのだそうだ。

う~ん・・・ひとまず休憩、だいぶ頭が発熱してしまった・・。

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